この地球が太陽を巡ることにより、1年と言う暦が存在している訳だけれど、その始まりをどこにするかは本来様々で、人によって、地域によって、納得できる日は違うはず。
いつの頃からか、今日を元旦と呼び、世界中の申し合わせとなっているが、思春期を迎える頃から、この無理やり感を苦しく感じてしまっている自分がいる。
そして、世間的な社交儀礼に合わせることの不条理に納得出来ないまま、それでも何となく従っていた数十年。
311の巨大地震と原発事故は、日本人の価値観を大きく変え得るものであったはず。
YURAI家も生活、そして活動そのものが大きく転換してきた。
一体どれだけの人が、311以降価値観の転換を行い、物事の本質に近付いているのか分からないが、かなりの数の日本人、あるいは世界の人々が目覚め始めているものと信じている。
だけど、今日実家の近くの小さな神社に、例年にはない多くの参拝者が押し寄せている様を目の当たりにして、この現象をどう考えて良いのか、正直疑問に思うとともに、戸惑ってしまった。
この日を正月と呼ぶことに違和感を感じてしまっている者の独り言。
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